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七面山ダイヤモンド富士撮影紀行

七面山から見るダイヤモンド富士
七面山から見るダイヤモンド富士

 日本を転々と回ると、よく円錐型の巨大な磐座、富士山が目にする。いつか、富士山頂から光る太陽、つまり「ダイヤモンド富士」を一目見ようと思った。そして、年の節目であればと考えたところ、春秋彼岸の中日、富士山の真西方に位置する七面山の山頂から、絶景「ダイヤモンド富士」を仰ぎ見ることができるとネットで知った。
 2014年3月21〜22日は休日。さっそく念願の思いを実行に移した。3月20日夜、仕事を終え、三重県鳥羽市からカメラ2台を備えて富士山に向かった。暗夜を突っ走り、21日早朝の5時30分頃に山中湖へ着く。
 2月14(2014年)日、伊勢志摩では大雪が降った。ニュースでは近畿から関東、甲信にかけて大雪と報道。その為か、富士山麓では所々、雪が積もり、凍ったところもあって、車を滑りながら走った。目の前の富士山は白雪に覆われ、車窓から目が離れなかった。

月と富士山(山中湖)
月と富士山(山中湖)

本栖湖の夕景
本栖湖の夕景

 朝7時半頃に河口湖へ移動し、白扇倒懸の富士山が逆さで湖面に映りこむ姿を期待したが、現れなかった。朝8時に精進湖を通り、8時半頃に本栖湖へ着いた。富士山をこよなく愛した写真家、故岡田紅陽氏の作品「湖畔の春」の逆さ富士が本栖湖で撮影し、後に五千円紙幣にも印刷された。山梨県身延町と早川町の境にある七面山(標高1,982m)へ走る道中で給油し、ガソリンスタントの方から七面山へ行く前に「赤沢宿」という集落があり、一見の価値があると薦めてくれた。
 早川町赤沢は、江戸時代から日蓮宗身延本山と七面山を結ぶ身延往還の宿場として栄え、明治初年までに九軒の宿籠屋があったとされる小さな山中集落で、伝統の家屋からは昔の面影を偲ぶことができる。

和光門
氷の坂道(深夜2時の和光門)

黒富士
黎明の黒富士

 午前11時、七面山の表参道にあたる羽衣橋の登山口に着いた。深夜登山を前に、下見で七面山を登ってみた。神力坊(2丁目)から肝心坊(13丁目)を過ぎたところ、路面には雪が徐々に見え始める。運動靴だけで登る途中に、下山する人に尋ねてみた。返す言葉はすべて「厳しい」、「難しい」の一言だった。一人の青年が「アイゼンがないと難しい。」、「一番近くのアウトドア用品店に行っても車で一時間はかかる」と丁寧に教えてくれた。試しに中適坊(23丁目)まで登っていくと、上は雪の道となり、無理だと引き返した。午後1時過ぎ、急いで近くのアウトドア用品店をナビで調べ、3時間後に軽アイゼン(6本爪)と懐中電灯を買って、本栖湖へ。
 夜8時に再び七面山の登山口へ戻り、車中で仮眠。山奥の夜は寒く、夜10時に目が覚め、登山を始めた。携帯用具はカメラ2台と三脚、軽アイゼン、そして照明用具の懐中電灯だけだった。神力坊を通ったところに、のどが乾きはじめ、用意したお茶は持ってこなかった。幸い、肝心坊(13丁目)で無人販売の飲料(一本300円表記)が置いてあり、3本持参し、千円札を賽銭箱(支払場所が無い)に入れた。
 深夜1時頃に晴雲坊(36丁目)へ着いた時の心境は、開放感に溢れた。月の明かりが照らす雪の山と暗い山麓の向こう側に光るネオンライトはまるで別世界だった。吸う空気と飲む水がこれほど清新に感じたのは遠い昔のようだった。和光門(46丁目)を通って氷の坂道を登ると光が見える。山頂付近の敬慎院(50丁目)へ着いたのが深夜2時30分頃。乾いたのどを潤うために、最後の飲料水を開けると、水は凍っていた。敬慎院の賽銭箱に銭を入れて、冷たい木の階段で座ると、目が自然に閉じようとし、このまま寝ころぶと凍死するかもしれないと潜在意識が働き、山頂付近の氷道をひたすら巡り巡って、夜明けを待つことにした。

ダイヤモンド富士
ダイヤモンド富士

日の輪と富士山
日の輪と富士山

 払暁、敬慎院の随身門から若い男女二人が現われたとき、やっと落ち着いた。此処は鳥しか棲めないところだと思った。早朝の5時、ISO感度を4,000以上にして最初の一枚、黒富士を撮った。シャッターを押す手はすでに固くなり、小さな動きに全身の力を振り絞った。
 道は元々、有っても無くてもいいものだ。大自然に育てられた人間は、生きる間に懸命に歩かなければならない。道の果ては死か往生か、そのどちらだ。七面山ダイヤモンド富士を撮影する孤独な旅で、生と死を意識しながら彼岸の日を過ごした。(李相海)