ホーム>山海の国

海と共に生きる鳥羽市三代海女−中川静香

 鳥羽市相差町は海女の国と呼ばれ、今も100人以上の海女が生息している。地元に海女の信仰する小さな社、石神さんがあり、古くから女性の願いを一つ叶える女神として、今は全国からたくさんの人々が訪れる名所になっている。

 中川静香(20)は鳥羽市相差町出身で、2010年3月に皇學館大學へ進学が決めたことをきっかけに海女を選択。小さい頃から相差の海辺で育ち、海女業をするおばあさん、中川寿美子(72)とお母さん、中川早苗(39)の影響で先祖代々の古業を継いで海女になり、日本全国でも珍しい三代海女の一家となった。

 12月19日夕方、私は伝統の海女業を引き継ぐ静香さん一家が営む相差町の海女の宿、『なか川』へ初めて訪れた。インターネット等でよく見かける静香さんと玄関で初対面。静香さんは今日から冬休みに入り、客室や露天風呂のある「静の湯」等を案内してくれた。「静の湯」には椿が満開で、お湯もつるつる、まさに美人の湯だ。湯浴みの後、取立ての伊勢えびと新鮮な鰒料理を堪能し、静香さんとお母さんの中川早苗に話を聞くチャンスを得た。

海女の宿『なか川』の露天風呂
海女の宿『なか川』の露天風呂

相差町海女の宿なか川
『なか川』の海の幸

 静香さんが初潜りしたのは高校三年生の2009年10月で、黒サザエ一個だけとった。皇學館大學では文学部コミュニケーションを専攻し、接客業に生かせたいと言う。大学の合間に海女業をしたり、家業の手伝いをする。お母さんの中川早苗は南伊勢町出身で嫁入りしてから海女業を開始し、今は海女の傍らに若い女将として勤める。女将の早苗さんによると、毎年5月7日と大晦日の夜中に石神さんへ御礼参りし、娘の静香さんも困ったことなどあれば、必ず石神さんへお参りする。

三代海女中川静香の一家
三代海女の一家

相差町海女の宿なか川
海女の宿の前で記念写真

 静香さんが高三卒業時、同級生の約30人がほとんど県外へ選択肢を求めることに対し、ただ一人だけ地元に残り、海と共に生きる伝統の海女業を選んだ。大卒後はまだ未定と言いながら、良い家族をつくり、海女の道を続けたいと最後を括った。